「久々に手料理でも振る舞ってよ」と頼み、2年ぶりに友人宅を訪ねた。大きな公園の裏手に佇む家から一駅隣の一棟貸しに引っ越したという友人は、大きな腹を抱えて駅まで迎えに来てくれた。よく晴れていて、初夏の光が眩しかった。

キャベツを刻んでもらって、お好み焼きを焼く。お好み焼き粉のパッケージの裏には豚バラ肉のお好み焼きの作り方しか書いていない。エビを入れるタイミングが分からなくなり、ひっくり返したばかりのお好み焼きの下に必死にねじ込んでいた。夫は味覚がコドモで酢の物を好まないのだ、と言いながら出してくれたピクルスは胡椒が効いていてなかなかおいしかった。夫、食べたほうがいいぞこれ。

私たちは、ある演劇のワークショップでたまたま居合わせただけの間柄だった。初めて2人で飲みに行った日、渋谷で日本酒を飲みながら目も当てられないような痛々しい恋バナをしあっていた私たちは、あれから10年近く経ってなお食卓を囲んでいる。さすがに恋バナはしなくなったけど。不思議だなあ、と今も思う。


このあたりまで書いて、下書きに寝かせてしまっていた。何を書こうとしたんだっけ。結局、日が暮れ夜になり夫が帰ってきて3人でテレビで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を見て帰った。長居にも程があるよな、ごめん。

あのとき、友人は臨月だった。私は彼女のその後が気になっていたものの、声を掛けるのをためらっていた。出産は母子ともに命を懸けた大仕事。私より年下とはいえ決して若い母ではない。向こうから連絡がないのは何かしらの理由があって落ち込んでいるのではないか。いや、無事出産していて日夜てんてこ舞いなのかもしれない。それなら下手に連絡しても邪魔になってしまうか、いやいや、幼なじみは産後うつに苦しんでいたじゃないか。ここで外の空気を取り込めば何かの気晴らしになるかもしれない。

そうだ、年賀状だ。幸いにも今年の正月は年賀状を送れるほどのゆとりがある。夏に引っ越したこともまだ伝えていないので、連絡するにはちょうど良い。「最近どうしてる?」とTwitterさながらにざっくりと投げかけてみよう、と恐る恐るはがきをポストに投函した。

年が明け、郵便受けにはがきが届いた。3人の写真の横に手書きで「母になったよ!」と添えられていた。ああ良かった、良かったなあ。無事に子どもが産まれて、何より友人が元気そうでとても安心した。夫も含め(何せ私たちはともに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を見た仲なので!)、二人が機嫌良くいてくれるならそれが一番良い。たとえ私の前にあるのが平坦な一本道だったとして、私と時をともにしてくれた人の道行が愉快なら、それは私にとっても光だなあ、と思う。

「良かった」の塊みたいなこの年賀状を引き出しに仕舞うのが惜しくて、1月も半分過ぎたというのに、今も机に年賀状を立て掛けている。2023年はとても幸先が良い。

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