ただ汽水を描いた本ではなく、汽水になぞらえた「何か」を持ち寄るような本。
Twitterのタイムラインで見かけたのだっただろうか。若尾真実・田野英知『汽水』という、知らない詩人と知らない写真家の作品集を買った。あるページの、海を写したとみえる深い青緑色にたいそうな見応えを感じ、ましてや知らない人の作品集、「これを逃せば次はいつこの青緑色に再会できるか分からない」と勢いのままに購入した。
「汽水」は、あまり馴染みのない言葉ですが、川の水から海の水になる、そのあいだの水のことです。
『汽水』封入テキストより
『汽水』が手元に届いてからというもの、私はこの本を何度も何度も読み返している。お目当ての深い青緑色をした海を眺め、木立の影を眺め、「やはり買って良かったなあ」としみじみ感じ入る。けれどもこの本を読んで以来、何よりも脳裏にこびりついて離れないのは、帯にも書かれた、この一文。
世界には
分けられることなんて
ほとんどなかった
『汽水』
「った」の、何とも悲しい響き。会ったこともない詩人の、聞いたこともない朗読の、読み終えた後の吐息が耳に残って離れない。分けられることなんてほとんどなかった、のに。「のに」と言いながら奥歯を噛み締めたことのある人には、きっとこの本の魅力を共感してもらえるのではないか。そんな気がする。