
期せずして早起きがマイブームになりつつある。飲食店の多くが20時そこそこでシャッターを降ろす上に、アルコールの販売を取り止めている。酒が飲めないと聞くと、飲むつもりがなくても外で飲み食いする気概が半減するのはなぜだろう。ともあれ、外にいる理由がなくなり、家で夜を持て余すうちに瞼が重くなる。早々に眠ってしまえば自然と朝も早く目が覚める、という仕組みである。
言うまでもなく夜と朝はひと続きに繋がっていて、そのせいか早朝は深夜によく似た奇妙な雰囲気を持っている。多くの人が眠っているため、極端に物音が少ない。世界中の人がどこかに行ってしまって、自分だけがはぐれたような気持ちになる。深夜と違うのは、日の出によってそれがよりリアリティをもって感じられる点で、見方によっては深夜よりも早朝のほうがグロテスクかもしれない。テレビはいつにも増してシュールで、誰もいない方向へ話しかけている。
私は、これまで深夜にやっていたことを早朝にやることにした。残業、料理、洗い物、読書。誰もいない世界なら誰に怒られることも急かされることもない。自分のペースで過ごしていて構わない。録画したバラエティの消化、Amazonから届いたCDの再生、スマホゲーム。私の立てた物音がすべて朝靄に吸い取られていく。ここには何も残らない。もしかしたら、本当は私もここにいないのかもしれない。
占い、天気予報、スキャンダル。人目を気にし始めたテレビが少しずつ俗っぽい内容に切り替わっていく。特別な時間はそろそろおしまいで、規則正しく刻まれる普通の一日が始まる。やるべきことを早々に片付けているため、眠くなればここでひと眠りしても構わない。「早起きは三文の徳」、その真意は「眠いと思えば眠って構わない」という余裕にあるのかもしれない。
そんなこたないか。