かれこれ半年、それ以上書いてないのか。ははは。
この半年間は仕事しかしていなかった。というか、「仕事をしていた」ということしか覚えていない。仕事を引き受ける代わりにそれ以外のすべてを差し出してしまったのだと思う。カレンダーも、生活も、視界も、思考も、手元に残っていなかった。
電車が急ブレーキを引いてもオーバーランを免れないように、あの状況から抜け出すのに半年かかってしまったけれど、まだブレーキが利く状況にあってよかったと思う。そして、6月が迎えられてよかったと、心からそう思う。
* * *
何年か前から、6月にポートレートを撮ってもらうことにしている。「自分の写っている写真を出してください」と急に言われたとして、いつの写真が出せるだろう。大人は人間の写真を撮らない。ただでさえ週の半分は家から出ない生活をしているわけで、このままでは「今の私」がなかったことになってしまう、と思い、誕生日近くにポートレートを撮ってもらうという習慣を始めた。
今年も撮っていただいた。例によってヘアメイクは青木さん、撮影はいっちゃん。
回を重ねるごとにしっくり来る感じがある。そうそう、私はこういう顔をしているよな。自分の顔は自分では見ることができないけれど、これは私の知っている私だ、と自信を持って言える。初めの頃はもっと表情がこわばっていて、「こんな顔をしているのか」と他人を見るような目で写真を眺めていた記憶がある。
青木さんにメイクをしてもらう間、私たちは3人で世間話をする。仕事はどうだ、どこの飯がうまい、最近は何にハマっている……一年で一番他愛のない話をしている時間と言っても過言ではない。年にそう何度も連絡を取り合う間柄ではないけれど、一年に一度交わす他愛のない話が私たちの境界線を他愛のないものにする。だから、私は彼らの前で他愛のない私を臆せずさらけ出すことができる。そしてそれをいっちゃんは的確に写し取る。二人は本当にすごい。
回を重ねるごとに他愛のない自分がいとおしく思えるようになってきている。私が変わったのか、それとも。
(ところで、他愛のない世間話がこれほど貴いものになるなんて一体誰が予想しただろう?)
撮影を終えて帰り支度を始めようかという頃に、いっちゃんが花束をくれた。「なんとなく、思いつきで」と言っていた。かっこよすぎる。いっちゃんはそういうことができるんだよな。私も誰かの顔を思い浮かべて「なんとなく、思いつきで」贈り物ができる人になろう、と思った。今年の抱負。
