梅雨の合い間

千葉の子どもたちは五十音順ではなく誕生日順に並べられます。だからみんな何となく誕生日がいつ頃かお互いに知っていて、小学校低学年ぐらいまでは教室のどこかに四季のデザインが施された誕生日表が飾られていたりしたものでした。

行事も祝日もない6月のところは大抵雨がモチーフになっていて、水の滴る青い傘と紫のあじさいが描かれていました。かたつむりがかわいらしく描かれていたりしたけれども、かたつむりはかたつむりで、私にしてみればとりわけ愛着がわくものでもありませんでした。

雨なんて誰も好きなはずがありませんでした。ブランコには乗れないし、サッカーはできないし、廊下で鬼ごっこをすると怒られるし。教室で粘土あそびか、やむなく読書をする程度で、私たちは「我慢」を体現したような時間をおよそひと月過ごすのでした。

粘土も読書もさして興味がなかった私は、よく雨を見ていました。他にすることがなかっただけです。庭に面したテラスは、雨を見るのに適した場所でした。金木犀や紅葉や山茶花、朝顔、向日葵。普段は花は見ても葉ばかりを眺めることなんてまずないのに、雨に濡れた草木の葉は一枚一枚がつややかで、ついつい見続けてしまうのでした。そして絶えず天から落ちてくる雨粒の斜線にひとつとして同じものがないことを知ったのも、このときのことでした。

わざわざ降ってほしいとは思いませんでしたが、雨を見ている時間は、いくら続いてくれても構わない、と思っていました。

今日は久しぶりの晴れ。ブランコを取り合うように子どもたちが一斉に走り出す、晴れです。

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