あまりに突然電話をかけてくるので、病気か、事故かと心配して折り返したら「お墓決めてきたよ」とのこと。電話口の母の声はいつにも増して上機嫌でした。
なんと残酷な電話をかけてくるのだ、と私は母を恨めしく思いましたが、その考えはすぐにやめました。自ら店じまいの支度ができることは、存外前向きで達成感のあることなのかもしれない。そう思ったのです。もっとも、死んでからでは自分の好きな墓など選べません。いまわの際に店じまいの算段などで気苦労をしていては、それだけで寿命が縮んでしまいそうです。
なんだかんだ言っても生きるのがうまい親だなあ、と思いました。学はなくとも20代の若いうちに結婚し子どもも産んで、小さくも戸建てを持ち、子どもには自分の分まで勉強をさせ、孫もでき、喧嘩しながらも70近くまで夫婦共白髪、墓の支度まで整っているとは。身内ながら見事なものです。
うまく生きるのは、なかなか難しいです。先生の話は聞いていたほうだと思うけれど、何せ学校の教科書には載っていなかったのだよなあ。
樹木葬というのでしょうか、家の近くの、小さな林の手前かどこかに「2つの筒を買ったのよ」と母はまるで遠足前の風情で言いました。それじゃあ私はどこに入ればいいの!と言い返そうとしましたが、それぐらい自分で支度をするのが大人というものか、と思い直しました。「店じまいの支度」これもまた、教科書にはなかった項目です。