ものを書く、とは

書くことについて考えていました。なぜものを書くのか。

私に関して言えば、答え合わせがしたいのだ、と思います。テストの答案の話ではありません。ことばや習慣があなたと私で同じか違うか確かめたいというのです。

私の両親はともに九州熊本の出身で、仕事の都合で街を転々としながら千葉に落ち着くこととなりました。親戚や身寄りの者など誰ひとりいませんし、ことばも習慣も違います。当然、そんな親のもとに生まれた私もまた隣近所とは異なる言語、文化を吸い上げて育ちました。

小学校に上がって学ぶことはたくさんありました。魚は「炊く」のではなく「煮る」、お道具は「なおす」のでも「片付ける」のでもなく「かたす」。「定規」のイントネーションだけでも大論争でした。ザリガニが食卓に並ぶというのは嘘か真か今となってはもはや分かりませんが、それを食べれば地元の人になれるのかな、と本気で考えたりもしました。

私は「地元の人」になりたかった。幼心に疎外感や所在のなさを感じていたのだと思います。

これはみんなと同じかしら、あれはうちだとこうするんだけどみんなも同じ?そうやって間違いを正して、ここにいることを認めたかった。深刻な話じゃないけれど、そういうことだと振り返って思うのです。

私の目に耳に飛び込んでくるものはあなたと同じかしら、こんなものを見てこう思ったんだけどあなたはどう?インターネットという公衆の広場で私はずっと同じことをしているのだと思うと、さすがに少し気恥ずかしくもなります。

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