
「料理は作ります、作れるのではなく」
夜中にお弁当の具をこしらえながら、友人の自己紹介の一節を思い出していました。凝り性なのか、私よりレパートリーの数も腕前も数段上の彼の事ですから謙遜だと分かりつつも、なるほどと妙に納得できる言い回しはしばらく頭の片隅に残っていました。
上手い人はどんなふうに料理をするのかしら。残り物で作った切り干し大根の煮物を見ながら考えました。少なくともプロはこんなにいいかげんな味付けや火加減ではないはずです。下ごしらえだってちゃんとセオリーがあるのでしょう。本物を知らないからなあ。
そういえば本物の、プロが作った切り干し大根の煮物とはどんなものでしょう。出先でまで切り干し大根の煮物を頼んだことなどありませんが、それ以前に、出先で切り干し大根の煮物がお品書きに並んでいたことがあったでしょうか。
切り干し大根の煮物は家で食べるものだし、母が作るものだと思っている節があります。ということは、私にとって本物の切り干し大根の煮物とは母が作った切り干し大根の煮物、ということになります。思わぬところに本物がいました。しかし果たしてそれでよいのでしょうか。世の中を歩き回れば、もっと他に正解があるのでしょうか。
暫定王者の母の味に近いかどうか一口味見をして、お弁当の隅に詰めました。今度どこか出先のお品書きに「切り干し大根」の文字を見つけたら頼んでみるほかあるまいな、と思いました。