blessing

人のお祝いをするモチベーションというのでしょうか、よくもみんな他人のお祝いをしてくれるものだと思います。決して呆れているのではなく、敬服というか、私もかくありたいと思ったのです。

よく「毎日が誰かの命日である」と言うように、自分には直接関係のないイベントというものは世の中にごまんとあるわけで、一喜一憂とは言わずともいちいち構っていてはきりがありません。

構っていられないというのではありませんが、私だって日々のことに追われ祝いそびれた友人やそれにかこつけて見ないふりをしてきたイベントが数々ありました。不義理なことだと思いつつも、カバーできるだけの体力なんてなかなかないものです。

みな私一人が友達というわけじゃあるまいに、わざわざ私のことを思い出して何かしてくれるというのは大変なことです。どうしてそこまでしてくれるのだろう。

あまりこればかり言うと卑屈に聞こえてくるのでもう言うのはやめておこう。けれど、その気持ちは忘れないようにしたい、と心から思います。

幸の字は写し鏡と覚えたり
我が幸願う君に幸あれ

ああ、全然うまくないな。今年は短歌をがんばろう。

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“blessing” への 2 件のフィードバック

  1. 自分は、そういった形式的なおめでとうコメントはされるのもするのも、面倒くさいと思ってしまいます。されたらうれしいけど、それより面倒という感覚があるので自分からはしない。だって、本当に祝ってくれる人がいるなら、直接、心で、言ってくれるはずだから。

    1. なるほど。「面倒くさい」と思う相手に無理して思いやるポーズをとるほうが不誠実かもしれないですね。人間の視界は限られているから、全世界を愛することなんてできないから、「面倒という感覚」はわりと自然で正しいことなんじゃないかと思います。

      そういうことを頭で考える以前につい構いたくなってしまうのが、「心で」言う、ってことなのかもしれません。いつもありがとうございますー。

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