私は物心つくかつかないかという頃に母方の祖母を亡くしているのですが、その頃のことを思い出していました。
何も分からぬまま九州旅行だと乗せられた飛行機でもらったおもちゃのこと、祖父母宅の庭や屋根裏部屋でひとり毎日好き放題に遊んだこと、死の意味が分からず祖母が息を引き取ったと聞いて「お父さんどう思うかな!」と無邪気に言って母に殴られたこと(それが親に手を上げられた唯一の記憶です)。
すっかり忘れていたのですが、私は通夜や葬儀がとても怖くて「出たくない」と当時ひたすら駄々をこねたのでした。死の意味も分からなかったくせに、葬式は怖かった。いまだに意味が分かりません。結局、どちらかは出なくてよいことになったのではなかったかしら。
あれから四半世紀近く過ぎ、今もなお通夜を前にして「行きたくない」と足が進まない自分を情けなく思いました。
斎場には大きな遺影が掲げられていました。こんな顔だったっけ、もっとニカッと笑っている顔を見せてくれたじゃないか、と思いました。棺を覗かせていただくと、その顔は眠っているかのようでした。ヒゲも伸びそうでした。
また会えた、けれどももう話もできない。ヒゲも伸びない。
お通夜ってこんなに悲しかったっけ。忘れていました。誰も笑ってくれない、冗談も言えない場だと幼心に勘付いたんだった。死は分からないけれど、こんなに悲しく怖い場はないと思ったんだった。
親族の方が「身体はなくなったけど、その辺飛び回れるようになったらしいんで!時々、思い出してやってください」とおっしゃって、少し、笑いました。
最期に挨拶ができて、会いに来てよかったと思いました。
