
この間、近所の駅にれいわ新選組の山本太郎さんが来て街頭演説をしていた。途中からだったけれど、しばらく立ち止まって話を聞いた。
彼らの主張の一つに「消費税を撤廃する」というものがある。「そうだったらお買い物がラクになるなあ、でもそんなことしていいのかなあ」と私は思っていた。大なり小なりあれど、今の日本で小市民の考えといったらせいぜいこんなところではないかしら。
彼は、統計の山を掘り返して作ってきたスライドを自前のディスプレイに投影し、なぜ「消費税を撤廃する」と言えるのか、その主張の一理を駅前に群がる聴衆へ一言ずつ丁寧に説いた。質問や意見があれば聞きます、僕が無知なら教えてくださいと言って聴衆にマイクを渡し、ゴシップ好きなネット民のお兄さんから懐疑的な自営業のおじさんまで、どんな人ともぶっつけで喋っていた。
無視や途中で打ち切ることはしない。散漫なコメントには文意を確かめ、難しい言葉には補足を挟みながら、即興のキャッチボールを繰り返していく。野次馬らしい見方をするなら、ストリートパフォーマンスとしての完成度は秀逸。見事なエチュード、あるいはサイファー。面白いものを見たって感じ。
実際、とても分かりやすい演説だった。「なるほどね〜」なんてその日は気分良く帰ったけれど、時間が経つにつれ、彼の話を思い返して私はだんだん悲しくなってきた。
消費税は社会保障のために使われるもの、そう疑わずに支払ってきた。検索したら、財務省のサイトでもそんなことが書かれていた。厳密には「適しています」≠「使います」みたいな逃げ道の匂いもするけれど、それは黒寄りのグレー。屁理屈だと言われても恨みっこなしだと思う。

でも、3%が5%になり、8%になり、10%になる間、年金は「払われないかも」と言われるようになり、家を失ったおばあさんがボコられて、鍵っ子がこども食堂に駆け込んでいる。妊娠出産費用は公的保険適用外のままだし、何ならインボイス制度の波で我が身も危うい。「未来の幸せのためだ」と信じて貯金を切り崩し、身を削って増税を引き受けたのに、私たち(少なくとも私)にはいまだ相応の恩恵が返ってきていない。
私たちは不幸せだ、とまでは言わない。生きていられるだけありがたい。でも、3%が5%になった分の、5%が10%になった分の「幸せ」ってどれなの。「幸せ」を享受できる「未来」っていつなの。ハチ公はいつまでここに待っていればいいの。
山本さんは「消費税が上がったタイミングで法人税率が下がっている」と指摘した。さすがにそんなことは、と私は猜疑心をギリギリ堪えている。何か他の要因があるのかも、って。でも、そうならそうと言ってくれたらいいのに、「ちゃんとやってるよ」って説明してくれたらいいのに、立法機関も与党も、まともな言い訳すら用意してくれない。
約束が守られなくて、浮気の疑いがあって、いよいよ嘘でごまかしてもくれなくなったら、もう信頼関係なんてなくない?それってもう、愛されてなくない??
そうか、私は政府に愛されていないのか……さすがに悲しくなって、ちょっと涙が出た。
「厩火事」という落語があって、そこでは夫婦喧嘩をした女に仲人が故事を教える。家族と宝物に災難が降りかかったとして、主人がどちらを案じるかで愛情が知れる、という話。
麹町のさる旦那のように瀬戸物を案じるだろうか、いや、私たちの身を案じると見せかけて自分たちの利権のために骨の髄まで搾取されるのかも。
そんなの、また泣いちゃうじゃん。