
自分の身体を誰かに洗ってもらうというのは、この世の営みの中でもトップクラスに尊いことではないだろうか。
自分の身体が他の身体と接する時間は一生のうちにどれぐらいあるのだろう、と考えたとき、何ということもない所作のようで意外と貴重な時間なのかもしれないと気づいて妙に焦ってしまった。私は今日誰かに触れただろうか。家族や大切な人と最後に触れたのはいつだっただろう、何の思い入れのない人と触れ合った記憶ばかりが蘇ってくるようなことはないか。
増してや身体を洗ってもらうなどという体験は、多くの人にとってそう日常的にあるものではない。日常的にそんなことをしてもらえるのは自我が芽生える前の乳児期と、自我を失った後、と言うと言い過ぎかもしれないが、それぐらいの老齢期。赤ん坊と老人の間に共通点が見えると、やはり人間というものは「いってこい」なのだな、と思わされる。
話が逸れた。
誰かに触れられるというのは、妙にむずがゆいものがある。相手のタイミングや強度が分からないから、身構えてしまうからかもしれない。相手の肌質や体温が伝わってくる。初めはびくっとするけれど、それが受け入れられるものであると、安心感も相まって、全身の力が抜ける。代わりに、何物にも替えがたい心地良さが身体を包み込む。洗ってもらっている間は何も考えられない。すべてを相手に委ねてしまいそうになる。丸裸というやつだろう。すべてお見通しで、この人にはもう小さな嘘の一つもつけない、何もかなわないような……。
「力加減大丈夫ですかー 洗い残しないですかー」
顔にガーゼをかけられたまま、シャンプー台で仰向けになっている間、まどろみながらそんなことを考えていた。ああ、幸せだ。美容師さんに髪を洗ってもらうのがたまらなく好きだ。シャンプー台にいる私は赤ん坊も同然で、ガーゼの下で幸せな笑みを浮かべている。