はやい電車

電車が止まった。東京で暮らしていれば急停車ぐらい出くわすし、遅延や見合わせも日常的にあるから、そんなに慌てることもない。

駅に到着するところだった。ホームに乗り入れようとしたところで、「線路に転落したお客さまと接触した可能性がある」らしい。

救護活動が行われるそうだ。車窓の向こうから救急車やパトカーの音が近づいてくる。サイレンとホイッスルの音が交差している。ブルーシートを想像してしまう。

救護活動のためにパンタグラフを下ろすから車内への給電が止まるとアナウンスがあった。冷房も止まるらしい。8号車のドアを開けたので降りたい人は8号車へ向かうように、と聞いてみんなぞろぞろと8号車へ歩いていく。私はそれを座ったまま呆然と見ていた。

Twitterで「中央線」と検索すると、どうやら故意に飛び込んだようだった。「ホームに鞄が残ったまま」「その瞬間を目撃した人が泣き崩れている」そんな光景、想像するにも余りある。検索したことを悔いてTwitterを閉じた。

「お急ぎの方、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」アナウンスは努めて冷静に定型文を読む。それでも端々にため息が混じって聞こえる。そりゃそうだろう。がらがらになった電車の中を慌ただしく駆け回る車掌さんの胸ぐらを掴んでやろうなんて気持ちはさらさら起きない。起きるはずがないじゃないか。人身事故に遭遇した運転士には休暇があてがわれるという話も聞いたことがある。ぜひそうしてくれ。

飛び込んだ人のことを思う。とはいえ、決して責める気にはなれない。30数年生きていれば、私だって「死にたい」と思うことぐらい何度かあった。これだけ生きづらい世の中、他者の想像を絶する重圧もあるのだろう。いっそ死ぬほうが手っ取り早いという発想も分からないではない。けれど、ついぞ私も死んだことはない。

死んだ後ってどんな気持ちなんだろう。死に終わった、その後。後悔こそあれど、あまり満足はできなさそうな気がする。願ったとおりのはずなのに、何となく満足感が足りなさそうな気がする。分かんないけど。

何より、「やっぱりやめ」が効かないのは、ちょっと困る。いろんなものを押し切って、無理して死んだのにあんまりすっきりしなくて、ハイ戻れませーん、っていうのは、なんかこう、割に合わないような。

私が煮え切らない想像を巡らせているうち、車両に電気が灯り、冷房が効き始めて、ものの1時間もしないうちに電車は再び動き出した。誰かが傷ついた瞬間からほんの1時間弱で事故現場が日常に戻った、その手際の良さに天を仰いだ。遅れを取り戻すように、電車はいつもよりスピードを上げて走る。何事もなかったかのように、何事もなかったと言い聞かせるように速かった。

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