私たちは今、西日の中にいる。
夜遅くに仕事から帰ると、モモが目を覚まして脚にすり寄ってきた。モモはいつも私を出迎えて首筋をゴリゴリと私のすねにこすりつけてくる。けれど最近はそのパワーも弱い。
外に出たい、とカーテンに爪を立てる。早く帰った日は少し散歩も許してやったけど、さすがにてっぺん越えだ。夜だからもうだめだよ、明日にしよう、と人間の言葉でたしなめる。
22歳にしては一丁前にジャンプもするから、ソファでグーグー寝ることもざらだ。しかし今日はソファの背を踏み台にしてキッチンカウンターに飛び乗り、遅い夕食を作る私を覗き込んできた。調理台はさすがに危ない。いろいろな小物をなぎ倒す恐れがあるし、何より包丁も火も使っている。こんな所まで登ってくることは今まで一度もなかった。何してるのやめてよ、とモモを抱えて床に降ろす。
ふと、脚の付け根に肌色が見えた。よく見ると、そこだけ皮膚が剥がれて肉が剥き出しになっている。ヒィ、と思わず仰け反った。当のモモは傷口を過度にかばう様子もない。痛くないのだろうか。いやそんなはずは。いつから、なぜこんなことになっているのだろう。
私が少し目をそらすと、早々に眠った家主の部屋に向かって「オアオゥ」と大声で鳴き出した。こんな時間に叩き起こしてはかわいそうだ。1週間ほど家主が出張だった間は寂しがっているのかな、と様子を見ていたけれど、家主が帰ってからも止む気配はない。「オアオゥ」『モモちゃん!こっちおいで』のやり取りは夜中の3時頃まで続いた。
朝は朝で、6時前には例の「オアオゥ」が始まる。もちろん眠いけれど、庭の水やりも兼ねて相手をする。
私が朝食の支度でキッチンに立つと、またカウンターに登ってきた。調理台からシンクに降り、ボウルに溜まった水をペロペロ舐めている。傷口に気をつけながらモモを降ろすと、日に日に胴まわりが細くなっていることに気がつく。
インターネットによれば、徘徊や夜鳴き、異常行動はすべて痴呆の代表的な症状ということだった。そうか、22歳だもんな。
今だから、今のうちだから言うけれど、モモはもうじき死ぬ。痴呆だけでなく食も細っているし、年齢的にも間違いないだろう。これから私は生活を共にした生物の死にゆく過程を目の当たりにすることになる。葬式には幾度も立ち会ったけれど、死と伴走するのは初めてのことだ。
遅れて起きてきた家主も、モモの喚きようにはさすがに閉口した。「やっぱりおかしいねコイツ」昨夜の夕食に出したモモ用の刺身がすっかり残っている。「猫の熱中症なのかねえ、マグロが嫌ならモモの好きなカツオ買ってきてあげるよ」
そんなわけないじゃない。きっと家主も分かっている。認めたくないから、しらばっくれている。
老いや死から私たちは逃れることができない。絶対にだ。猛ダッシュで振り切ったように見えて、確実に近付いている。老いや死は、近くで見るとこんなにも恐ろしいものなのか。それを今、私たちはまじまじと見ている。
勘付いてないふりをして、私は逃げるように仕事場へと出掛けた。逃げられてなんかいないのに。本当はモモを病院に連れて行ってやりたかったが、それも叶わない。残り少ない夕暮れをどう過ごせばいいのか、この数日考えあぐねている。