道を歩いていて、あるいはとある人を見て、ふと思うことがあり「これはあとでブログに書こう」と心に決めるのだけれど、結局その前後の組み立てが思いつかなくて眠気に負けて寝る、というのを繰り返している。
結局は考えをまとめるほどもないことだったのかもしれない。さして賢いほうでもないし、アタマの容量なんてたかが知れている。
この夏はいろいろなことがあった。ここ数年を棚卸ししたような夏だった。随分荷物は少なくなったと思っていたけれど、知らず知らずに積み重ね溜め込んだものはうず高く山になっていた。今年に入って感じていた足かせのような動きづらさはこのせいか、と膝を打った。
棚卸しは大仕事で、指を切ったり足を擦りむいたり、思いの外ざっくりいってしまった部分もあった。しかし整理がついて身軽になった気持ち良さは何物にも代えがたく、処分した喪失感をもプラスに感じさせた。
身軽ついでに、住まいを変えた。友人の家に空いていた部屋を使わせてもらうことになったのだ。重荷の消えた部屋に今のまま住まうのはあまりにも居心地が悪いと思い、飛び出すように居を移した。こういうものは勢いとタイミングだ。後悔はベッドとともに捨ててきた。
今はネコと暮らしている。動物の考えていることは分からない。相手は自分にとって有益なやつか有害なやつか、自分には今何が必要で何が不要か。それぐらいの対話しかない。要望や希望は臆さず表す。夜は耳を掻かせ、朝は甘えた声を上げる。
なるほど、これまでは持ち物や考え事があまりに多すぎた。過去の望みを今も変わらぬものと知らず知らず自分に言い聞かせ、動きを鈍らせていた。それは筆を持つ暇も余裕もないはずだ。「自分には何が必要で何が不要か」ネコとの暮らしは勉強になるな、とありがたく頭を撫でさせていただく。