
幼なじみにいじめられっ子がいた。うーん、いじめられっ子かどうか分からない。陰湿な云々、みたいなものは見た覚えがないけれど「あいつは垢抜けなくてどんくさい」みたいな位置付けにされて、あまり構われていなかったのは覚えている。それでも私の幼なじみには変わりなくて、私が損害を被ることはなかったから、近くにいるときは日常的な会話をした。
勉強が苦手で、運動も苦手で、自分の好きなこと(当時は何だったっけ、ドラえもんとか詳しかったのかな。大きくなってきてからはビジュアル系バンドとか)については鼻を膨らませて「えっとねえ、」とゆっくり話す子だった。私の知らないことを知っているところが好きだったし、先生に叱られた後でもけろっとして得意げに話すさまは妙に興味をそそった。
ただ、あの子はうまく自分の意思を示すのが苦手で、かつ泣き虫だった。責め立てられると「んー……」と唸りながら目に涙をたっぷり溜めながら目玉を上に向けて、左右に身体を揺らした。泣き虫なりに、不器用なりにグッと堪える術だったのだと思う。周りからすればそのそぶりは既に泣いているも同然の状態だったけれど、私も家では叱られてよく泣いていたから、あの子が堪えようとしていること、泣いてないつもりだということは何となく分かった。それに「堪える術」を持っている(成功していないけれど)のは少し羨ましくも感じていたのではないだろうか。今となっては自分の心情も思い出せないが、あの子の姿はやたら印象に残っている。
人は外部情報の大半を目から取り入れているという。何かものを思い出すのに無意識に上を向いたり視線を逸らしたりするのは余計な情報を遮断するためなのだそうだ。そうなると、稀代の名曲「上を向いて歩こう」も解釈が少し変わってくるような気がする。
あの子は泣かずにいられない目の前の現実を遮断するために上を向いていたのかもしれない。幼いあの子は意識的にそれをしていたのだろうか。上を向きながら家に帰る。