
新しい生活になって、何となく3ヶ月が過ぎた。「まだ初めたばかりなんで」という逃げ口上もじきに通用しなくなるのだろう。ひとつの仕事を終え、ひとつの仕事を打ち切られ、またひとつ声がかかり……慣れないなりにたどたどしく個人事業主を続けている。
こんなことを言っては元も子もないが、事業主としての生き方にこだわりはない。いつまで続けるつもりだろう、とさえ思っている。でも、思った以上に違和感はないし、どこかに所属したいという気持ちが驚くほど起きない。自由は孤独だけれど贅沢でもある。誰かと一緒に事を起こすも自由、時が来れば散り散りに別れるもまた自由。温かさと肌寒さが交互に訪れる感覚は季節のようだ、というと格好が付きすぎるだろうか。
退職を決めた時のいくつかの理由のひとつは、冗談でも何でもなく「季節を肌で感じたい」だった。慌てて玄関を出て、オフィスに着けば快適なエアコンの奴隷となり、暗くなるまでこもりきり。変わらない明るさ、変わらない室温、変わらない所作。天気も気温も、風の匂いも分からない10年間は私に何の損害も与えなかったが、同時に何の感動も与えなかった。8年目、9年目の頃に無心で歳時記を買い漁ったのは本能的な「飢え」だったのかもしれない。
今も忙しい日々はあるものの、季節は手に取るように分かる。行き先が日によって違うから、時間に余裕を持って家を出る。近くの小学校の植え込みが変わる。晴れた日は洗濯物を干し、野菜を買いにスーパーへ行く。汗が滲んだら窓を開け、足が冷えたら机の下のストーブに電源を入れる。たまには外食へ行く。期間限定の旬のメニューにつられてみる。
季節の変わり目を感じるとき、ああ、こうして老いていくのかな、とふと思う。
暑さ寒さにいちいち口を挟みながら歳を重ねたい。年寄りくさいと思うだろうか、それは私にとって音楽に耳を傾け舞台を愛でる延長線上にあるものだ。どうせ老いは止まらない。命ある限り、美しいものや愛おしいもの、おもしろいものをめいっぱい堪能して老い衰えたい。
この頃、連れ合いが「野菜が食べたい」としきりに言うようになった。そうでしょうそうでしょう、と野菜炒めをつつきながら小さな老いを感じて、私は泣き笑いのような表情をつくる。