女心と

一時は病院にでも頼らなければ身がもたない、というほど思い詰めたのも束の間、女心とは薄情なもので、仕事に明け暮れたり友人と談笑したりしている間に悩みも随分遠くへ行ってしまった。持つべきものは友、私のための言葉だと思う。

初めのうちは「仕事をしていないと不安」だなんて騒いでいた私だったが、いくらかこの生活に順応してきたのか、今は呑気に桜など見上げている。我が家の近くには小学校があるので桜には事欠かない。朝の爽やかな桜、昼の穏やかな桜、夜の艶やかな桜も良いけれど、ひと仕事終えて見上げた夕暮れの桜も儚さが増してなかなか良い。なんだ、結局いつだって桜は良いんじゃないか。

花粉もしばらくメガネでしのいでいたけれど、この暖かさで症状が出ないということはそろそろ終わりのようだ。幸い、私はスギ花粉症だけなので期間が短い。メガネを外せるのがうれしくて仕方ない。眼鏡は顔の一部です、なんてCMがあったけれど、いかんせん薄顔の私にメガネは存在感が強すぎる。ついぞ今年も顔の一部にはなり得なかった。二軍落ち。

花粉さえも怖くないとなれば、窓を開けよう、空を見よう。所用を済ませ家に帰ると、昨日漬けておいた醤油漬けのイワシと頂き物のビールで、夕暮れ空とこぶしの花に小さな乾杯をする。窓から吹き込む少し冷たい夕風が気持ち良い。かつては目を回すまでが酒だと思い上がっていたが、ほんの少し視点が揺らぐ酔い始めこそ気持ちが良い。身体も冷えてきたし、小瓶もちょうど1本空いた。鼻唄混じりに片付けを始める。

本当に、これが1週間前まで思い詰めていた者の振る舞いとは思えない。我ながら呆れるが、その薄情さこそ私だ、とも思う。

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