
「あなたの愛する人に『あなたがいなくても幸せ』と言われたら、嬉しいですか?悲しいですか?」
今日届いたメルマガの見出しは一段とキャッチーでした。本当に愛しているかを判別する方法、というものでした。私は、究極の質問だな、と思いました。でも、たぶん「物は言いよう」というだけのことだ、とも思いました。
私の知る限り、人は多かれ少なかれ幸せを糧に生きています。幸せを望みと言い換えても良いでしょう。糧に、というのは比喩ではなく直接的なことです。ごはんと同じように、毎日定期的に継続的に摂取していないと生活が成り立ちません。一切の幸せが断たれると、おそらく生きていかれないのではないでしょうか。それぐらい、私には何ひとつ幸せや望みがなかった日は金輪際なかったと言えます。あなたはどうですか。
私がいないごときで生活が破綻するような人は嫌だなあ、と思いました。そして、わがままかもしれないけれど私がいないところでも幸せであってほしいなあ、と思いました。
ああ、そういうことか、と思いました。
自分以外に幸せであってほしい人こそ愛する人なのでしょう。そんなことを頼まれもしないのにわざわざ考える相手は家族と、あとは、まあ多くはいないものです。
この問いで対極に位置するのは嬉しいか悲しいか、ではなく、別にどちらとも判断がつかないことです。好きの反対は嫌いではなく無関心、とはまさにこのことなのでしょう。
何の話だ。