楽しみにしていた友人のライブもそこそこにバスに飛び乗り、京都までの予約を大阪に変えてもらい、そこから阪急に乗り換えて三宮へ。
黙って座っている分には、地元民かよそ者かなんて分からないと思います、たぶん。町の均一性を感じます。
この間、バーで隣り合った人はスロバキアだかどこだか東欧にコネのある人で、その東欧の国は穏やかでとても良い国だと評した後、「(旅行に)行くなら今のうちだ」と言いました。聞くとそれは「情報が行き渡って、どの国も同じ文化に染まってしまうから」とのことでした。
それはつまり、どんなに寂れた村でも「なんでやねん」は通じるということ。それはつまり、どんなに山奥でもコンビニエンスストアはあるということ。それはつまり、地元の町で一生を終えたりしないということ。
たしかに(これは、「お前のことだよ」と指差された気持ちで口をつぐむ「たしかに」)。
役に立つもの、おもしろいものが万人に行き渡ることは良いことだと思いますが、それがどの町も真四角に統一されるということだとしたら、果たしてそれは推し進めるべきことなのかしら。かといって、文明を与えずにガラパゴスを守っていこうとする考えは都会のエゴではないかしら。
時間があると余計なことを考えます。久しぶりの旅行です、余計なことをたくさん考えようと思います。