magenta


この間の打ち合わせは100人弱が一堂に会する大きなものでしたので、説明の行き届かないものはプロジェクターで投影しました。担当者は、プロジェクターの接続端子とスクリーンしか見ません。その端子がどこにどう刺さっていてどこから出力され、どこが繋がっているから映像が投影されるのか。誰もが、見るどころか考えもしないのです。

その結果として、マゼンタの偏った画面が映し出されました。

白いはずの部分が赤紫色に映り、目がチカチカしました。「写真右上の赤い服の人が」と言われても全員の服が赤く染まっていて、私には訳が分かりませんでした。その端子がどこにどう刺さっていてどこから出力され、どこが不十分だから全員が赤い服になっているのか、私は気になって仕方ありませんでした。

私の会社ではきっとこのまま打ち合わせを続行することはできません。百歩譲っても、何かしらのエクスキューズを挟まないと次に進めません。何もなかったかのように淡々と話を進める担当者を眺めながら、彼らとは感覚器の発達の仕方が違うのかもしれない、と思いました。

仕事柄か、色や音や五感から得られる快・不快に私たちはひどく敏感です。けれどもその一次的な感覚を鈍らせて必要な情報を脳に取り込み咀嚼することを優先させる、言わば二次的感覚に重きをおく人も世の中にはたくさんいます。きっと担当者の目ではあのマゼンタが白に変換されているのです。

おかしいと思っても、口に出さないのが常ならばおかしいとは思わなくなる。大切なものが他にあると、目の前のものはどうでもよくなる。人間の環境適応力は感覚器の発達を大きく左右します。どちらが良いとなく。

大通りの手前のいつも通り過ぎるベンチでお爺さんがAMラジオを聴いていて、あれっ、と思いました。ガサガサと雑音が激しく私には聞き取ることすらままならないものだったからです。お爺さんはこれが常であると言わんばかりに、トランジスタラジオの音色に聞き入っていました。

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