ケイトウは「鶏頭」と書きます。あまりに言い得て妙なもので、ちょっとグロテスクでさえあります。
友人の店でサンマとひやおろしを頂き、出掛けの帰りに古書とケイトウを一輪買う。思うように満喫できなかった夏の反動みたいに、秋をかき集めています。
私が今住まう街には田んぼがありません。こうべを垂れる稲穂もなければ、ススキやガマの穂が伸びる用水路もありません。田んぼが恋しくなる気持ちの一方で、思い返せばあの頃は田んぼしか見ていなかったような気もします。秋はいろんな形でそこにあったのに。
離れて分かることはたくさんあります。
英語を学び始めた頃は「autumn」という含みのある響きが気に入っていましたが、「fall」のもつ喪失感はまさに秋そのものだなあ、などと感じている今年の秋です。
