混み合う電車で親子連れが空席を確保したとき、果たして親が座るべきか子が座るべきか、という議論をしました。私は子を座らせて然るべきと思っていましたが、友人は子のほうが元気なのだから親が座るべきである、実際親からもそうされてきたし、その教えに何の違和感もない、と返しました。なるほど、たしかにそう言われれば。
話によると友人は、日頃からあまり座ろうとしないようです。座ってずっと気を遣い続けるのは面倒だから、と言います。何かあれば率先して譲る、困っている人がいれば声を掛ける、それができる人だからです。「自分が困っていたらそうしてほしいからやってるだけなんですけどね。後で後ろめたくなるのも嫌だしやっちゃえ!みたいなのもあるし」そんなことも言っていました。
友人を尊敬するとともに、吉野弘先生の「夕焼け」を思い出しました。
いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に。
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をギュッと噛んで
身体をこわばらせて---。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。吉野 弘「夕焼け」
詩集<幻・方法>所収
『現代詩文庫』思潮社
せめて友人には良いことがありますように、夕焼けを見るゆとりがありますように。そう思いました。
