Confessions

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反省文を書くことはあっても、読むことはないように思います。自分の属さないコミュニティのものなら尚更です。

週末に訪ねたフィールドワーク展で何より目を引いたのは、期日に間に合わなかった研究チームが提出した原稿用紙20枚分ほどの反省文でした。取り返しのつかないことをした、すべては自分の気の緩みが悪かった、初心を忘れていて恥ずかしい、約束を破るなんて人としてあるまじきことだ、などとこの世の終わりかのような懺悔の言葉に始まり、研究室に入ったときの気持ちや印象的だった思い出を振り返ってはあれが良かった、これは忘れられない、と勝手に回想して、はっと楽しい感想文になり下がっている自身に気付くと慌てて「それなのに今の自分は」と自分を自分で殴りはじめます。自虐が何も生み出さないことに気付くと、今後の展望が最終章として用意されるのです。

それは、夏目漱石が「こゝろ」を執筆した頃から脈々と受け継がれてきた王道の反省文そのものでした。筆者がそんなことを考えながら書いたとは思えません(考えていたとしたら全然反省の色が見えずむしろ悪いです)が、反省文にもセオリーがあるのだな、という発見はとても新鮮でした。セオリーに則っていながら、これだけ人の心の動きを手に取るように生々しく感じた文章も初めてでした。

反省文を書くなんて、人に読ませるなんて金輪際ごめんだな、と思いました。

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