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「熱いものも冷たいものも、何もかも味わってみなければならぬ。若いときに愚者でなければ、年をとってからそうなるものだ」海外の説話集にある一節だそうです。物知りでブルジョアジーなうちの社長が言っていましたが、文学が苦手で平凡な私にとっては初めて出会う言葉でした。

愚者であること/愚者になることは何かを得ることです。怪我をしないと危険は知れないし、時間を無駄にしないと近道は探せません。それはラジオ体操のスタンプカードのようなもので、蓄積して蓄積してようやく、一定のラインに到達するものなのだと思います。駆け上がるように到達する人もいれば、時間をかけてやっとこさ到達する人もいます。

蓄積のことを考えていて、ふと、視力の低下のことを思い出しました。ゲームが大好きで目を酷使した子どもは早々にメガネを掛けます。かといって目のいい子どもはいつまでも目がいいのかというとそんなことはない。大人になってそのツケがどんと来るから急激に老眼になるんだよ、ゲームをしない子だった私はよくそうやって脅されたものです(幸いにもまだ老眼にはなっていないようです)。

目が悪くなるのは嫌なことだと思っていました。でも、蓄積なのかもしれないと思いました。もちろん目の衰えは疲労の蓄積なので褒められた話ではないのでしょうが、疲れなかった分、私はゲームの面白さを知らずにここまできました。いろんなものを見て、いろんなものを楽しんで、その結果として視力が衰えるのなら。目が悪い人は、素敵なものや面白いものをそれだけたくさん楽しんだ結果なのだとしたら。

目が悪いのっていいなあ、と少し思ってしまいました。

もっともっといろんなものを見て、どんどん視力を…いや、あるならあるに越したことはないか。言い過ぎました。視力があるうちはいろんなものを目に焼き付けようと思います。

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