田舎や地方の魅力、というのは都会が生み出したものだといいます。相対する対象があって初めて名前が生まれるように、都会が自分とは違うものとして認識したことで見出された価値だというのです。
マツコ・デラックスがテレビで「田舎であってほしいというのは都市による傲慢だ」というようなことを言っていて、ああそうかもしれないなあ、と思いました。もちろん津々浦々の街が画一化されていくことはつまらないことだと思いますが、私だって千葉に住んでいた頃はブランド物の洋服に憧れ、ファミリーマートに憧れ、無印良品に憧れていました。東京に憧れていたのです。映画館だってないし、マクドナルドは潰れたし、CDは取り寄せないと買えない。バスも走っていない。何もなくて、誰も知らない町でした。もっと便利になってほしいと思うのが常でした。故郷を忘れて田舎に不便で古い暮らしを強要するのは、きっと傲慢なのだと思います。
地方に回帰することを考えるとき、そんな傲慢な気持ちはないか、どんな町にしたいか、そこで自分は何ができるか、を考えます。別に私が一人で何かを成せるわけではないけれど、客人ではなく当人にならなくては不誠実だと思います。
東京の街が奏でる、という小沢健二のツアータイトルが好きでした。東京も街のひとつ、地方のひとつに過ぎないと確認することができるからです。私は必ずしも東京を離れたいとは思わない。東京に固執するつもりもない。でも、街を選ぶことができるのは都会に暮らす私の傲慢なのかもしれません。
