楯突くことのできない職業というものがいくつかあって、そのひとつは歯医者さんだと思っています。
私は昔から歯が弱く、物心つくかつかないかの頃から歯科にかかっていました。歯が弱いといってもぐらぐらするというのではなく虫歯になりやすい体質のほうでした。それでいてお菓子が大好きだったばっかりに、スタッフ全員と仲良くなるほど歯科の常連になっていました。
幼い私を虫歯の痛みから救ってくれたのも生え変わりを見守ってくれたのも歯医者さんでした。大人になってからも、転んで前歯を折り情けない面構えになった私に日常生活を取り戻させてくれたのは歯医者さんだし、身体の負担が少なく見映えのよい差し歯に替えてくれたのも当然ながら歯医者さんです。歯医者さんの恩恵を一身に浴びて生きてきたと言っても過言ではないでしょう。
前置きが長くなりましたが、うっかりその差し歯を割ってしまったのでここ数週間はまた歯医者さんに通っています。新しい差し歯を入れる前に隣の虫歯を治しましょう、という歯医者さんの提案に従い昨日は歯を削ってもらってきました。
思いのほか虫歯は深刻だったので、麻酔を打って治療することになりました。歯茎に注射を打つとあっという間に上唇から鼻にかけての感覚が失われ、自分の皮膚ではないように感じられました。麻酔はものの数分で効果を発揮し、さっそく歯医者さんが虫歯を削り始めました。「大丈夫ですか」「痛くないですか」自分でガリガリゴリゴリ削っているくせに、歯医者さんはしきりに心配してきます。が、麻酔がすっかり効いている私は痛くも痒くもありません。きっと心配になるほど本来なら痛い箇所を削っているのだなあ、と思いました。平気な顔をしている自分が怖くなって、少し背筋が凍るような心持ちになりました。と同時に、再び歯医者さんに救われている自分に気付いて「やっぱり歯医者さんには逆らえないな」と再認識しました。歯医者さんの言うことだけは聞こう、と決意を新たにしました。
けれどもそれができていればきっと虫歯にはなっていないわけで、そのときにはまた歯医者さんに居心地の悪い照れ笑いをするのだろうと思います。
