高田渡というのはとても不思議なミュージシャンです。彼の歌はどこまで行っても彼の歌であり続けます。
鳥井さきこのライブを観てきました。私にとっては友達のような、よくできた妹のような子です。天真爛漫に飄々と歌っているように振る舞っていましたが、近頃は内側を見せることを少しずつ覚えてきたみたいです。内側をちょっと覗き込むと、外側のようにすべすべつるんとしていないことに私は驚きました。そりゃそうなのに、当然のことなのに。すべすべつるんとしていない彼女はとてもかっこよく、私は彼女を知るたびますます好きになっていくのでした。
彼女の歌いぶりは、たびたび高田渡さんに例えられます。譜面に乗らないようなリズムで奔放に、日常や本心や、そういったノンフィクションを呼吸するように歌う、まるで掴みどころのない姿がそう思わせるのかもしれません。ギターを抱えマイクに向かうその姿は似ているかもしれないけれど、私には、彼女そのままの、彼女にしか歌えない歌のように聞こえます。
そんな鳥井さきこが、昨日は高田渡さんの「日曜日」を歌いました。それは、鳥井さきこの口を借りた高田渡でした。けれどもそれは彼女のせいではないと思いました。堀内章秀さん(無頼庵)が「ブラザー軒」を歌ったときも、他のカバーはすっかり堀内さんの歌だったのにこの曲だけは堀内さんに乗り移った高田渡でした。
高田渡さんの歌には高田渡が息づいているのです。高田渡以外の人にはきっと歌えないのだと思います。そんな歌があることを、そんなミュージシャンがいることを、私はこれまで知りませんでした。また、他にそのような人がいるかと言えば、私には今のところ考えつきません。
鳥井さきこもやがてはそうなるのでしょうか。楽しみのような、末恐ろしいような。
