名古屋から台風に追われるように新幹線で帰ってきたその足で、「ricca」・宇宙遊泳・YOIYOIという大好きな面子のライブを観に渋谷の屋根裏に行った私です。兄にはメールで呆れられました。親にはとても言えません。
私を台風にもかかわらず引き寄せたそのライブをブッキングしたのは屋根裏で働く(the)bedsのブービーだったのですが、終演後ほとんど会話もせずに帰ってきてしまいました。何となく気になって(the)bedsのサイトを覗いてみたところ、ふと彼の日記に目が留まりました。
きっといつか地元に帰ったら、東京に戻りたくなる。
そう思った。
まだ地元に帰れない。
そう思った。
どういう文脈でそんな話になったのかは日記を読んでいただいたらいいと思うので割愛しますが、この一節がひどく心に残りました。
最近の私は、「静かに暮らす」ことについてずっとずっと考えています。
バス停の看板は錆びて折れている。スーパーは19時に閉まる。マクドナルドなんてない。夜は車の音すらしない。そんな土地で18年間育った私には「足りてない」生活がスタンダードだったし、それは地元を離れた今も案外変わらないものです。新宿や下北沢、職場のある渋谷までひょいと足を伸ばせる三軒茶屋という街は電車もバスもすぐに乗れるし、24時間スーパーが開いているし、遊び場もたくさんあるし、車の通りが途絶えることもありません。実に便利です。
それはつまり「足りている」ということであると同時に「足りてない、がない」ということでもあります。誰もいない、どこへも行けない、何もない。そんな場所がこの頃とても恋しいのです。「足りている」ことがこんなにしんどいことだったとは。
「そこまで言うのなら千葉に帰ればいい」ごもっともです。そのとおりなのですが、かと言って千葉に引っ込む踏ん切りはなかなかつけられないのです。そんな矛盾した自分が嫌だなあ、現実逃避しているだけなのかもなあ、なんてモヤモヤしていたところで、先述の一節。ああ、そうだなあ、と。
しんどいけれど、いつかは変わるかもしれないけれど、少なくとも今の私にとってのホームは東京なのだと思います。
